なんじゃ村紀行

目次

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なんじゃ村紀行 28

冬はじめ、雨の巻店

岩淵 一也

ヤマダ電機側から見たなんじゃ村関屋店

開店ほどないなんじゃ村巻店

 しぐれが氷雨を伴って、この季節、寒さはいつも急ぎ足だ。キリギリスのようにうかうか秋を過ごしたわけでもないのに、冬構への準備不足の責めを突かれているようだ。
そんなしぐれの昼近く、開店ほどない巻店を訪ねた。
 店内が明るく見えるのは天井、壁の内装はむろんだが、カラフルな商品が多いせいだろう。文房具もバッグもマットだって、色彩への配慮はにくいほどだ。
 三連休中日の土曜のせいか客足が途絶えることはない。店長としばらく話したが、聞くにしろ素人の的外れな質問は否めず、「頑張ってください」などと言わずもがなを口にして退去した。
 百均の二字で安さを喧伝し、百円ショップと名乗っての商売は、種類も品質も分量も、全てを百円の枠内に収める宿命にある。材料も作るに要する手間賃や電気代、輸送料から販売のための人件費も、何から何まで詰め込んでの百円なのだ。いつに似ず、そんなことまで考えてしまうほど、なんだかものわびしい冬はじめである。
 とはいえ通路をめぐり、さまざまな百円たちに出会うのは楽しい。幾種類かのマッチに驚き、豊富なライターに感心したりする。ペット用品の棚には、カメやザリガニの餌が並び、「猫大好き」と書いたマタタビもある。犬用と猫用の爪切りを見て(ホホーここまで)、と得心したりするのだ。
 五年生くらいの子が母親にヘッドホンをねだっていた。今ある耳の穴に入れるタイプは、呼ばれても気づかない、と説得にかかる。母親は耳を覆うタイプのそれを手にして「これも百円?」と驚くふうだ。
 近くに競合店もあるというから、いつだって商売は甘くない。外へ出たら雨が一段と激しくなっていた。

(平成29年11月)

なんじゃ村紀行 27

開店三日目の今朝白店

岩淵 一也

ヤマダ電機側から見たなんじゃ村関屋店

入り口が二つの今朝白店

 長岡駅裏の今朝白店はすぐに分かった。入り口が二つある地味な外観の店の中は、かなりの客でたてこんでいた。店内は真新しいから、地味というより控えめ、の表現が相応しいだろうか。
 しばらく出店がなかったのに、四月の関屋店に続く新規店である。
 日曜と重なった三日目の店内は、若い家族連れが多かった。「店長さん(は)?」と言いかけたら先方から挨拶された。顔を覚えておいてくれたらしい。
 忙しいのに恐縮しながら控室で向かい合った。近くに学校が多いのでこれからは文具などの品ぞろえに力を入れたい、常連といえるお客さんを増やしたい、そんな話をしてくれた。100円ショップのシンパが作れれば、力強いことこの上ないが‥‥。
 多様な商品が揃っているだけに、店内をめぐるのは楽しみだ。他店と比べて面積はいくらか狭いようだが、その分、陳列に工夫が凝らされているのだろう。
拙宅の近所の知り合いが話していたが、「買いたい品物があるときは、まず百円ショップを覗く」という。そこで間に合わなかったら他を探す、ことになる。百円の商品が進化しながら、生活に密着していることを感じてしまう話だ。
 レインコートにレインジャケット、傘などの一角を見ていると、梅雨が近いと思うし、昆虫セットのコーナーにある商品は、夏休みの子供たちの笑顔と重なりあうようだ。
 気づかなかったが、いつの間にかレジは自動でつり銭が出てくるタイプ、レシートも商品名が印字され、こちらも進化していたのだ。
 原信をキーにして弐萬圓堂やらサイゼリア、ココカラファインなどのある一角だ。
 今日が開店三日目、今朝白店はここから正念場を迎える。

(平成29年5月)

なんじゃ村紀行 26

初夏の夕日の関屋店

岩淵 一也

ヤマダ電機側から見たなんじゃ村関屋店

ヤマダ電機側から見た
なんじゃ村関屋店

 千歳大橋を渡り切ったら赤い看板が見えた。地図で確かめてきたもののすぐに見つかるとは思わなかった。ところが左折する道路を探しているうちに見失ってしまった。やむなく車の流れに従ったが、踏切を渡ったところでいぶかしさが増した。転勤で新潟へは十七年通ったが、ついぞ地理に馴れることはなかった。

 開店ほどない関屋店はこじんまりした店だった。通路を広くとった分、並んでいる品物は窮屈そうだが新しいせいか輝いて見えた。

 それにしても、やっぱり進化というべきだろう。たとえば棚のかなりな面積を占めているマスク。立体型にカラーマスク、メガネの曇りにくいもの、包み込みを謳うもの、なんと種類の多いことか。靴下しかり髪飾りしかり。ボールペンの種類や数もそうだし、老眼鏡も0.5刻みになっている。だから店内を見回ると、二つや三つ必ず欲しいものに出くわすから不思議だ。

 店のある一角を関屋ショッピングセンターと称し、ヤマダ電機と原信を核に、ガストやブックオフなどがある。周辺には学校やマンションが多いから、そういったお客さんへの品ぞろえが求められるに違いない。

 ここからほど近い関屋金鉢山は戊辰戦争の際、壮絶な戦いの舞台になったところである。また、関屋分水の工事が始まる昭和40年まで、新潟(関屋)競馬場があった。競馬場は分水工事で移転となる600戸余りの住宅の代替地となったのだ。

 五月の日が西に傾き、刷毛でなでたような薄い雲が浮かんでいる。ほどなくなんじゃ村の看板に夕日が輝きはじめた。

(平成29年5月)

なんじゃ村紀行 25

秋麗、南高田店

岩淵 一也

紅葉間近、南高田店

紅葉間近、南高田店

色づきはじめた木々を見ながら上越へ向った。手にした開店チラシには、上越高田インターを下りてすぐの地図が添えられていた。一帯は造成されたばかりのショッピングエリアである。まだ白線も新しい駐車場を取り囲むように店が並んでいた。ナルスを核に多くは郊外型の店舗で、上越市で三店舗目となるなんじゃ村も、靴屋に隣接してなじみの赤い看板を掲げていた。駐車場の向い側はKFCや魚べい、幸楽苑など馴染みの飲食店がある。まだ空地があるからこれからの出店もありそうだ。一角を占めるコメリパワーは開店の準備に忙しそうだった。  

店長に取材の断りを頼もうと声を掛けたら、先方では小生を知っていたようだ。写真を撮ったりメモを手に歩き回ったりするから、不審者と思われないようにしなければならない。いつものことながら、新しい店は店員も陳列商品も張り切っているように見える。

目的の品物を探し、見つからなかったら店員に聞き、買ったらすぐに帰る、これがこれまでの自分流だった。しかし、欲しいものを探し回り、見比べてあれこれ思案する、そんな買い物の楽しさもわかるようになってきた。だから「時期商品」コーナーにカレンダーと手帳しかなくても気にならない。これからどんな商品が並べられるのか楽しみだ。  

来年の開業を控えた新幹線の高架と新駅が近い。JRの在来線が第3セクターの「えちごトキめき鉄道」になるというから、ここいらはこれから大きく変っていくのだろう。

新幹線高架の遠くに薄い雲が浮いているだけで、真っ青なうららかな空である。 紅葉が足早に過ぎるとすぐ雪。つかの間の秋麗に心が弾むようで、これから高田公園にある小林古径の画室でも覗いてみようか、という気になっている。

(平成26年10月)

なんじゃ村紀行 24

春すこし白根店

岩淵 一也

真新しい白根店の店内

真新しい白根店の店内

乾いた風が吹いて春霞のような空だ。里山あたりはまだ一メートル余の雪が残っているというが、平地はすっかり溶けている。

淡い山容の弥彦山系を左に、枯れ色の広がる国道8号線を走った。白根は仏壇仏具の町である。黄金の観音様が辻立ちする交差点を右折して国道460号線に入る。折れてほどなくと聞いていたのに、探しているうちに白根総合公園を過ぎてしまった。不審に思って引き返すと「なんじゃ村」の赤い看板が目に入った。見落としたのが不思議なくらいである。

開店ほどない白根店は、この時間にしてはまずまずの来客数だった。「靴のベル」店と分け合った店舗は初々しさのままである。季節商品と掲示のあるコーナーを見たが手帳しか並んでいない。花見、海水浴の季節なら関連商品を並べやすいのだろうが、季節の谷間を埋めるのは難しいようだ。

一緒に行った妻がキッチン用品の売り場にいた。手にした丸い金属の板に「あらふしぎくん」と書いてある。鍋に入れて吹きこぼれを防止するもののようだ。100円ショップには新しい商品を発見する楽しさもある。

歩いて五、六分のところに大手の100円ショップがあった。品物で差別化が図れないとすれば、ソフトの成否がカギを握る。「地元に愛される店」は口にするほどやさしくはない。それでもスタッフにはエールを送りたい。

原信や蔦屋、ドラッグトップス等の郊外型店舗の向こうには、白根学習館と大凧と歴史の館、カルチャーセンターがある。

そこまで続く茶色い芝生に、少しづつ春色の緑が加わるのもそう遠くない。

(平成26年3月)

なんじゃ村紀行 23

大寒の候、上越インター店

岩淵 一也

冬のアイテムが一角を飾る

冬のアイテムが一角を飾る

今のところ、という注釈を付けなければならないが、雪の少ない冬である。上越インター周辺も片寄せられた雪の山が残るだけで、積雪は二、三十センチといったところか。
例年なら1.5メートルを超えていても不思議はないのに、大寒にしてこの小雪なのだ。

なんじゃ村上越インター店は、文字通りインターを下りてすぐのところだった。これまでの黄色い看板のイメージがぬぐいきれないが、今は赤がなんじゃ村を印象づけている。 店は建物のおよそ半分を占め、あとは壁で仕切られていて、「今春開店予定」の貼り紙がある。半分はいかにも狭いが、それでもかなりの商品が並んでいた。

店内を回ってみると、どうしても個人的な興味に目が向いてしまう。これまでも回る度にいくらかの発見があったが、今回もいくつかの珍しい商品に出会った。

ひとつは発砲スチロールの板を切るヒート式スチロールカッターで、立体工作に役立ちそうな商品である。他にコンセントに差し込んでおくキャップやプラグカバー。最近電気プラグからの発火が伝えられたせいか、売れているのではないか。さらにペン型のドライバーセット。マグネットが内蔵されていてヘッドが取り換えられるようになっている。 わが家にはなかったが、テッシュボックスホルダーは冷蔵庫などに磁石で簡単に止められるようになっている。百円のアイデア商品の進化に触れるのもなかなかに面白い。

周辺にはナルス、ドラッグトップスがあり、国道18号を挟んでイオンがある。どこの郊外にもある風景だが、今日はひときわ高い冬の空の下だ。

雪の少ないのはありがたいが侮ってはいけない、まだ二月を控えている。そう気を引き締めながら店を出た。

(平成26年1月)

なんじゃ村紀行 22

クリスマス間近の亀貝店

岩淵 一也

天井から吊るされた商品案内

天井から吊るされた商品案内

地図で確かめて来たのに黒鳥のあたりで迷ってしまった。越後狭しと暗躍した黒鳥兵衛の胴塚はこの近くかと、余計なことが頭をよぎった。

ぐるりに刈田の広がるこの辺りは、遠くに街並みが望めるのに、どう行ったらいいのかわからない。いったん戻って国道116号のバイパスに乗り、亀貝インターを降りるとすぐ目標のプラッツ亀貝があった。

冬すぐ隣りのこの季節は、晴れ、雨、曇りが混在し、照ったすぐ後からみぞれが降り募ったりする。歳の数だけ経験してきた季節なのに、いくつになっても馴れることはない。

なんじゃ村亀貝店は一大ショッピングセンターの一角にあった。かつては黄色が店のカラーだったのに、知らぬ間に原信やユニクロと同じ赤に変身している。超大手の百円ショップがピンクの内装だったりするから、色彩も重要な販売の担い手なのだろう。

亀貝店は開店1カ月足らずだから、どことなくかしこまった感じがしたが、棚が頭の高さで通路も広く、見通しも利いて歩きやすかった。天井から吊るされた黒と緑の案内板も清潔な感じがして、なによりスタッフが初々しくて声がけも所作も好ましかった。

この紀行文を書くのはほぼ一年ぶりで、ゆっくり店内を巡って気付いたのは、商品も進化している、ということだった。時流が後押ししてくれているとはいえ、マンネリや踏襲だけでは成り立っていかないに違いない。

入ってすぐのところにクリスマス用品が並び、隅にはお供え餅が控えていた。雪の結晶の飾りを窓に貼り、小さなツリーとミニベルをテレビの脇に置いたささやかなクリスマスもよさそうだ。もう枕元に靴下を置いても、夢を詰めてくれる人はいなくなったが‥‥。

(平成25年11月)

なんじゃ村紀行 21

雨雨、雨の日の村上店

岩淵 一也

並んでいるクリスマス用品

並んでいるクリスマス用品

雷鳴と共に激しく降り募る雨をついて、開店間もない村上店へ向った。インター店を過ぎたあたりの国道7号線から望んだが、紅葉盛りと思われる臥牛山は見えなかった。

村上店は西店、インター店に続く市内3つ目の店舗である。店はマクドナルドやムサシ、ガストなど郊外型店舗の一角にあった。レンタルビデオなどのゲオと一緒の建物で、黄色と赤の店名を書いた張り紙が並んでいた。

声掛けしながら商品を並べている店員さんに聞いたら、開店は先月の27日というからまだ1カ月経っていない。店はこじんまりしているが、天井が高く通路も広くとってあってゆったり買い物が出来そうだ。

レジのすぐ脇にクリスマス商品が集められていた。ツリーに飾る雪だるまや星、雪の結晶、サンタのブーツに赤い衣装。初めて見たがジェルで出来たサンタの人形もある。ガラスなどに貼って飾るのだろう。他の棚には来年のカレンダーや手帳があった。もうそんな季節になったのか。一年の経つのが年毎に早くなっていく。

店内に流れる曲の合間に、「お買い物をお楽しみくださいませ」のアナウンスが混じる。小生など、どちらかと言えば目的の品物を探してすぐに立ち去るのが買い物だと思っていたのに、(そうか)楽しむということもあったのか。買いたい品物をメモした紙を見ながらゆっくり店内を回った。「楽しみ」という目で見るせいか懐かしい品物が目に入ってくる。ハッカ飴、干し芋、ペコちゃんのミルキー。なんじゃ村では「懐旧」も売っている。

雨の止まないせいか店内の客は少ない。愛想のいい店員さんにお礼を言って店を出た。カーラジオは湯沢に初雪のあったことを告げていた。

(平成24年11月)

なんじゃ村紀行 20

見附店オープン

岩淵 一也

開店を待つお客さんの列

開店を待つお客さんの列

さっきまで雨がぱらついていたのに、開店の10時には青空が広がった。とはいえ、むっくり起ち上がった雲の動きが早く、いつ降り出すかわからない空模様だ。

定刻に店が開いて長い待ち行列が動き出した。店の前に積まれた目玉商品に、すぐに人だかりが出来ている。

見附市は新潟県のど真ん中、人口4万2千人のニットで知られた町である。小さい町ながらイングリッシュガーデンを開き、ユニークな複合施設「ネーブルみつけ」を運営している。

なんじゃ村見附店は市役所、消防署に近く、ケヤキ並木に面している。昭和町の名前が示すように比較的新しい住宅街にある。店は独立した建物でレイアウトは他と同じながら、新装の初々しさがあり、直交する店内通路のせいで広くゆったりして見える。

店内を巡回していて一角に並んでいたペット用品に目が止まった。子供たちが小さい頃わが家にも飼い犬がいたが、亡くなってからペットとは無縁な生活だった。だからペット用品が珍しかった。驚いたのは犬、猫専用の爪切りがあったことだ。フード皿やファンシー首輪の並びには、ペットのおもちゃやささみふり掛けがあった。ペットに癒されたい人間のために、100円商品も応えなければならない。

客の勢いに押されて目玉商品のワイシャツを買い込み、「ゆらゆらフラワー」を二つ籠に入れた。レジには5人の店員がいるのに、それでも列の出来る混みようだった。

道一本隔てた角に出雲神社があった。この店でなんじゃ村は20店舗。地道で末永く商いが出来ますように、鈴緒を振って柏手を打った。


(平成26年10月)

なんじゃ村紀行 19

県境の糸魚川店

岩淵 一也

イルカに浮き輪にヒマワリも咲いて

イルカに浮き輪にヒマワリも咲いて

明星セメントの塔槽群を見て高速道路を下り、孫の記憶を頼りに欅並木の通りを走った。中学1年になる孫は地理に詳しく、ナビの役目を充分に果たしてくれる。
欅並木の通りをしばらく進むとなんじゃ村糸魚川店がある。たたずまいは他の店と同じだが、隣り合わせの西松屋とは入り口が一緒で、角に10分1,000円のヘアーカットの店がある。(デフレもここまで進んだか)、と思ったのはうがち過ぎか。

糸魚川市は能生・青海町との合併で東京23区を上回る面積となった。北は親不知の難所で知られる日本海、南は2~3,000メートル級の山々が連なる「翠の交流都市」であり、2つの国立公園と2つの県立公園を擁する風光明媚な環境にある。また糸魚川―静岡構造体でも知られ、石の博物館であるフォッサマグナミュージアムは一度は目にしておきたいところだ。さらに「都の西北」で知られる相馬御風の生まれた土地であり、北国街道の要衝として独特の地方文化を育んできた。県境の文化都市、と書いてもいいだろう。

市内には百円ショップが3店あって、それぞれ地の利を得て営業しているようだ。 「ここはどうですか」あいまいな聞き方だったが、「働きいいです」開店時からという店員はそう答えてにっこりした。季節や行事ごとの飾りの工夫が楽しいという。海が近いのでこの季節はレジャー用品がよく売れる。もっとも昨年10月の開店だから、一年を通しての季節商品の見極めはこれからだろう。店内の通路は広く直交していて歩き廻りやすく、客もゆったりしているように見える。

思い出して爪楊枝と自転車のロープを買った。県境に根を下ろすにはまだ時間がかかるだろうが、ささやかな応援の気持ちである。

(平成26年10月)

なんじゃ村紀行 18

土曜昼下がりの寺尾店

岩淵 一也

見ていて飽きない園芸コーナー

見ていて飽きない園芸コーナー

各地で体温を超える猛暑日が続いている。言っても詮無いことながら「暑い」。
湿気が少ないのでいくらか救われるが、列島は熱波に晒されている。だから、寺尾店の植栽の緑が新鮮だった。十数店舗を回って来たが、植込みと木のある店は初めてである。

なんじゃ村寺尾店は旧116号線沿いにある。右隣りの砂地の畑にはメロンが植えられていて、ここが海近いことをうかがわせる。店の前の平台に浮き輪が積まれているのはそのせいだろう。土曜の昼下がりとあってレジが混雑するほどの客の入りである。2本百円の清涼飲料水がよく売れる。

なんとか時間を割いてもらって店長に話をうかがった。前は書店だったようで植栽もレンガ模様のエントランスもそのまま使っているという。 「100円だから、というお客さんと、100円でも、というお客さんと‥‥」 仕事をやっていて難しいことは何ですか、と質問した時の答えだった。どんなお客さんにも対応しなければならない。商売の難しさと妙味は裏表になっている。

畑仕事をしているので野菜ネットが欲しい。客の目に戻って探すと、園芸コーナーには家庭園芸愛好者を飽きさせない品物が並んでいた。油かす、活力液肥、ガーデンチップ、ソーラーライト。園芸ネットも防鳥、防風、防虫とさまざまある。支柱に使うエボ竹がよく売れるという。

通路が広いので店内を3周した。「あーっ、手鏡こわれてたんだ」前にいた婦人が声を上げて手鏡をとった。品物を眺めているうちに思い出したらしい。 お客さんにとって「100円でも」となる品物を維持するのは大変だ。やりがいは大変の先にある。そう思い起こしながら賑わっている店を出た。

(平成26年8月)

なんじゃ村紀行 17

新しい街の村上インター店

岩淵 一也

観葉植物の売れ行きがいい

観葉植物の売れ行きがいい

国道7号線と日本海東北自動車道が斜交する村上市郊外に、真新しいショッピング街が生まれた。駐車台数が460台という広い駐車場を取り巻くように、とりどりの店舗が並んでいる。ただ緑なす後背地の山林に、その新しい街がなじむにはまだしばらく時間がかかりそうだ。

街はスーパー原信を中心にドラッグトップス、しまむら、西松屋、靴のベル、イエローハットなどというおなじみのチェーン店で構成されている。なんじゃ村村上インター店はそのほぼ中央にある。休日とあって駐車場はほぼ満杯で、県北の城下町村上の一角は、振るわない日本の景況にも拘わらず賑わっていた。

村上は小さな地方都市ながら町おこしの才に長けている。鮭で藩の財政を救った江戸の昔から、自然と共生しながら城下町としての文化を培ってきた。町屋の人形様めぐり、鮭街道、黒塀物語等々、今日では各地の町おこしの範とも称えられている。

「店長さんは?」そう店員さんに声を掛けにくいほどなんじゃ村の店内は混んでいた。店長はあいにく別の店に行っていて会うことはかなわなかったが、それを告げる店員の親切な応対に接することが出来た。

暑い戸外から入って一番に目にするのは夏向きのグッズである。原発事故の影響で照明も冷房も節電を強いられているが、それを少しでも補おうという百円グッズの試みがいい。風鈴、浮き輪、扇子、うちわ。電池式のミニ扇風機まである。注目は「熱中対策水」と書いたペットボトルか。目から涼しさをお望みの向きには、小さな観葉植物がお勧めだ。

さて、ここから拙宅まではおおよそ100キロ。私は買ったばかりの熱中対策水に口をつけて、おもむろに車のキーを回した。

(平成24年7月)

なんじゃ村紀行 16

初夏のはなみずき店

岩淵 一也

青空に看板、幟がよく映える

青空に看板、幟がよく映える

枝を剪った並木のポプラの先から、びっしり生えて赤味を帯びた若葉が風にそよいでいる。その並木に沿って新潟東総合スポーツセンターの丸いアリーナがある。色違いの歩道には「安田新潟自転車道」の掲示がある。土曜とあってか、アリーナのガラス越しにランニングマシンや自転車で汗を流す若者の姿が見える。 「なんじゃ村はなみずき店」は並木のある道路を挟んでそのすぐ前だ。

「はなみずき」はミズキ科の落葉小高木。5月頃に白や薄いピンクの花をつける。明治時代、日本がアメリカへ桜を贈ったお返しに贈られた花木である。ここ東区の「はなみずき」という地名が何に由来するかは知らないが、なんとなく優しくなれそうな地名ではないか。 店は以前ユニクロがあった建物らしく、天井が高くていろんな陳列の工夫が出来そうだ。店内の広い通路がゆったりした気持ちを醸し、商品の積み上げ高さと相まって買い物を楽しくさせているようだ。車椅子でコーナーを回る人も見た。

初夏を迎えた店らしく、入り口のすだれや飲み物が涼やかだ。2本で百円の缶コーヒーやペットボトルは人気があって、箱買いの人も多いと聞く。開店して2年ほどになるが、近くに木戸病院があるせいか入院用品がよく売れるようだ。

これでなんじゃ村の店を訪ねたのは16店舗となるが、商品の充実は賞賛に値する。今回は電池の並ぶ棚を子細に見たが、三菱、富士通の単1から単4まで、それも本数の組み合わせもとりどりあった。むろんボタン電池もあって、電池ストッカーや残量測定器も揃えてあった。こっちの商品に見入り、あっちの商品を眺めしているうちに、店内を流れる音楽がシャンソンからラブミーテンダーに変っていた。

(平成24年6月)

なんじゃ村紀行 15

山笑う候の村上西店

岩淵 一也

少女が微笑む村上西店

少女が微笑む村上西店

国道7号から臥牛山(135米)が見えて来た。山頂が満開の桜で明るくなっている。

臥牛山は市街の東端にあり、村上藩のお城があったところだ。小生の住む三条は村上藩領だった時代が長く、三条近辺で収穫される4万石は村上藩にとって貴重な収量だった。(後には村上藩主の高崎移封によって2万石分は高崎藩領になっている)

村上は拙宅からおよそ100キロの距離にある。高速道を使えば苦にならない時間だが、江戸時代は二泊三日の行程だった。江戸の難儀はかりがたし。

村上は町おこしの策に長けている。「町屋の人形さま巡り」「町屋の屏風まつり」「宵の竹灯籠まつり」などに加え、黒塀プロジェクトや町屋の外観再生など、そのアイデアに事欠かない。城下町の歴史を生かす進取の知恵があるのだろう。

村上西店は駅裏に広がる新興住宅地にあった。スーパー原信を中心にクスリのコダマが右側、なんじゃ村は左にある。開店3年目と新しいせいか、商品のありどころを示す宙吊りも、商品ごとの表示も見やすい。「商品が多いと補充も大変でしょう」店員に聞いたら、コーナーごとの担当制をとっているという。1万を優に超す商品を覚えるのは容易ではなく、担当制なら陳列の工夫も生まれようというものだ。

買いたい品物のメモを片手に店内を歩き回ったら「スマートフォングッズ」のコーナーに行き当たった。よくぞ揃えたと感心したが、携帯を持たない小生にはどう使うのかよく分からない。メモしておいたドライバーに接着剤、ビニールテープを探し出して店を出た。周囲の低い里山は、今まさに山笑わんとする風情だった。

(平成24年5月)

なんじゃ村紀行 14

燕店のタンバリン

岩淵 一也

まっすぐ伸びる店内通路

まっすぐ伸びる店内通路

張り出したテントの下の長椅子に掛けて、ノートを広げたまま考え込んでいた。テントを叩く雨音が次第に高くなり、雨垂れが勢いを増してくる。

燕店の前には「チャレンジャー」という大きな食品スーパーがある。だから集客も品揃えもその店の影響を受けることになる。今日は雨のせいかスーパーもなんじゃ村も客足が少ない。店の前に立てられた10本ほどのなんじゃ村の幟が、なんとなくわびしそうだ。

燕店の入り口は2つあり、入るとすぐ駄菓子を並べたコーナーになる。マシュマロ、オレンジガム、ベビースターラーメン。「いかのカットよっちゃん」は少し酸っぱいお菓子だろうか。4個や2個で百円のものもあり、品数は昔の駄菓子屋さんに及ばないが、大人の郷愁も誘うようだ。「本日のお買い得品」と書いた看板には「ソフラン、エリス、ナチュラルモルト」などと書いてあった。品物の名前に馴染みのない筆者としては、置いてけぼりを食らった感がしないでもない。

雨傘のコーナーに足が向いたのは、止みそうにない雨のせいだろう。百円の雨傘といえば透明か白が相場だったのに、色も柄もカラフルになってついつい品定めに迷ってしまう。
事務室に店舗陳列コンクールの表彰状が掲げられていた。迷路のような通路に比べ燕店のはまっすぐ伸びていて品物の配置もわかりやすく、陳列にも工夫が凝らされているようだ。

店内に流れる音楽に合わせ、おもちゃ売場から小気味のいいリズムが響いていた。母親の制止も聞かず4歳くらいの目のクリッとした男の子が、音楽に合わせて体を揺らせながらタンバリンを打っていた。

(平成24年4月)

なんじゃ村紀行 13

春を呼ぶ燕三条店

岩淵 一也

おひな様が春を呼ぶ

おひな様が春を呼ぶ

色づきはじめた木々を見ながら上越へ向った。手にした開店チラシには、上越高田インターを下りてすぐの地図が添えられていた。一帯は造成されたばかりのショッピングエリアである。まだ白線も新しい駐車場を取り囲むように店が並んでいた。ナルスを核に多くは郊外型の店舗で、上越市で三店舗目となるなんじゃ村も、靴屋に隣接してなじみの赤い看板を掲げていた。駐車場の向い側はKFCや魚べい、幸楽苑など馴染みの飲食店がある。まだ空地があるからこれからの出店もありそうだ。一角を占めるコメリパワーは開店の準備に忙しそうだった。  

店長に取材の断りを頼もうと声を掛けたら、先方では小生を知っていたようだ。写真を撮ったりメモを手に歩き回ったりするから、不審者と思われないようにしなければならない。いつものことながら、新しい店は店員も陳列商品も張り切っているように見える。

目的の品物を探し、見つからなかったら店員に聞き、買ったらすぐに帰る、これがこれまでの自分流だった。しかし、欲しいものを探し回り、見比べてあれこれ思案する、そんな買い物の楽しさもわかるようになってきた。だから「時期商品」コーナーにカレンダーと手帳しかなくても気にならない。これからどんな商品が並べられるのか楽しみだ。  

来年の開業を控えた新幹線の高架と新駅が近い。JRの在来線が第3セクターの「えちごトキめき鉄道」になるというから、ここいらはこれから大きく変っていくのだろう。

新幹線高架の遠くに薄い雲が浮いているだけで、真っ青なうららかな空である。 紅葉が足早に過ぎるとすぐ雪。つかの間の秋麗に心が弾むようで、これから高田公園にある小林古径の画室でも覗いてみようか、という気になっている。

(平成26年10月)

なんじゃ村紀行 12

小雨降る錦町店

岩淵 一也

天井に吊った商品ガイド

天井に吊った商品ガイド

ファイルの品定めで二人の男が話し合っていた。「枚数はこっちがいいのかなあ」、「色は鮮やかな方にしろよ」、「大きさはこれだな」何やら楽しそうなのだ。
天井近くまで積まれた商品で覆いかぶさるような圧迫感がないではないが、狭い通路はひそかな楽しみを醸(かも)しているふうでもある。

錦町店は「新潟みなとトンネル」を抜けて赤道へ出てほどなくの処にある。店に向った左手の一角を「ぬいぐるみクリーニング」と貼紙のあるクリーニング店が占めている。そのせいもあってか店内は比較的狭く、どうしても商品は上へ積み上げることになる。

土曜日とあって店内は子供の姿が多かった。小学校1、2年生と思しき女の子が、カラーシールを手にためつすがめつしていた。少女ならずとも店内を歩き回るのは楽しい。何に使う商品かわからないものもあるが、(便利そうだな)とか(こんなのがあったのか)などと小さな発見もあるのだ。「おそうじ消しゴム」などもその一つで、大きな消しゴムのデザインで、浴槽の黄ばみやまな板磨きが出来るとあっては試してみたくもなるではないか。

誰だったかに聞いた話だが、必要な品物があったらまず100円ショップを覗く、そういう人が多いという。不況もさることながら、100円ショップの品揃えの多様さが、それだけ生活の利便と結びついているのだろう。

レジ近くの天井に品物の位置を表示した案内板が掲げられていた。他の店では気付かなかったが、商品ジャングルに分け入っていくガイドとしてはありがたい。大寒の候とはいえ気温が雪まで届かない。小雨がなんじゃ村の看板を濡らしている。

(平成24年2月)

なんじゃ村紀行 11

フレスポ赤道店

岩淵 一也

レジャーコーナーこちらです

レジャーコーナーこちらです

フレスポ店は赤道(県道4号線)沿いの、550台という大きな駐車場を取り囲むように並ぶ郊外型店舗の一角にあった。ユニクロ、サンキ、チャレンジャー、マツモトキヨシなど、さまざまな店舗のあるせいか、駐車場所を探すのに苦労するほど混み合っていた。 

フレスポとはフレンドリースポットの略で、この盛況をみれば命名の目的が果たせたのではないか。「赤道」は法定外の道路で、明治時代の公図に赤く表示された里道や脇道などのことを指すが、通行の途切れることのない今日の隆盛を誰が予測したろうか。

この店は500メートルほどしか離れていない錦町店から比べると倍ほどの広さだから、全体ゆったりしている。店が新しいせいもあって蛍光灯に照らされた商品は鮮やかに見える。「ゆっくりごらんくださいませ」、「一部商品を除いて全て105円となっております」、「バレンタインにもご利用くださいませ」。流れている音楽と相まってそんな声掛けも邪魔にならない。

立ち止まってじっくりおもちゃコーナーを見た。これが面白い。けん玉、竹トンボ、あやとりひも。かつてどこの家にもあったおもちゃが並んでいる。ビーズセット、お手玉、縄跳び、磁石セット、ヨーヨー、コマ、呼子笛。今どきの子供は電子ゲームや携帯音楽プレーヤーにうつつを抜かしていると思いきや、なんだ、これなら昔と変わらないではないか、そう錯覚しそうな品揃えである。「レジャーコーナーこちらです」の看板の下には紙皿、紙コップ、レジャーシートなどが並んでいる。商品も置く場所や並べ方など、見せようで売れ方も違ってくると聞いている。この商売、案外奥が深いのかもしれない。

山ノ下は工業地帯である。フレスポも工場跡地だという。背後の大きな工場から白煙と水蒸気が湧きあがり、灰色の冬空に渾然と溶け込んでいく。

(平成24年1月)

なんじゃ村紀行 10

年の瀬の鐙店

岩淵 一也

店を飾るとりどりの造花

店を飾るとりどりの造花

紫竹山店から紫鳥線で900メートルほどの距離に鐙店がある。なんじゃ村の店としては近接している配置といえるだろう。「鐙」には足踏みからの転化で乗馬するとき足を掛ける馬具と、火をともす油ざら、の意味がある。地名のいわれに興味があるが、詳しく調べるのは別の機会に譲ろう。

「新潟には何店舗くらいありますか」百円ショップの数である。「さあ、インショップもありますから正確な数は‥‥」。インショップとはスーパーやホームセンターの中にある店舗である。独立店舗とインショップ、八十万人の住む県都での競合はなかなか激しいようだ。そう言えばなんじゃ村にもスーパーや百貨店の店先を借りたテント張り時代や、大型バスを改良した移動販売時代があった。あの頃の苦労は、時間とともにほろ苦くも懐かしいものに変わって来ている。

鐙店の建物は以前衣料品の店だったらしく、なんとなくそんな作りをうかがわせる。紫竹山店から同行した店長の話では、このあたりは学校が多く、運動会シーズンには景品用の品物が多く売れるという。鉛筆やノートなどの学用品も揃えるようにしているとのことだった。

いつもの年の繰り返しだから年の瀬と言ったところ格別なことはないが、なんじゃ村で明るい造花に松飾り、それに餅でも求めようか。

紫鳥線を横断して前の駐車場から写真を撮った。向かいの紫竹山小学校は授業中で校庭はひっそりしていた。黄色や茶褐色の落ち葉が歩道に散り敷き、これからは梢が青空に突き刺すように見えるだろう。小学生の吐く息が白くなり、道路が乾くと雪の季節が近い。

(平成23年12月)

なんじゃ村紀行 9

広い紫竹山店

岩淵 一也

お椀だけでもこれだけの種類

お椀だけでもこれだけの種類

紫竹山店は7号線の紫竹山インターを下り、紫鳥線を西に行ってすぐのところだ。同じ敷地内に眼鏡の「弐萬円堂」があり、イタリアンレストランの「サイゼリア」と「かっぱ寿司」がある。何度か食べに行ったことのあるラーメンの「万人家」も近い。
このあたり、他にも飲食店が多いことに気付く。店は市の総合保険医療センターとなった旧市民病院に近い。

開店ほどない時間だったから広い駐車場にはかなりの空きがあった。前はドラッグストアだった建物である。新潟駅南の商業地だから入れ替わりや盛衰の激しさは想像できる。

お客様を出迎えるのは造花と2本で百円のコーヒーや清涼飲料水。それを眺めまわす位置に「千万両」の札を下げた大きな招き猫が鎮座している。

店内は広い。なんじゃ村の店の中では一番広いのではないか。通路はゆったりしていて商品を眺めながら歩くにはちょうどいい。これなら混雑時も肩触れあうことはないだろう。 レジの左手に菓子の入ったガラス瓶が重ねられていた。昔、駄菓子屋で見たような瓶で、いろんな菓子が入っている。4つで百円、自由に選べるのがいい。店内が広いから品揃えも豊富だ。お椀を数えたら90種類あった。歯ブラシだって50種類くらいある。 嬉しいことにメーカーで製造しなくなった白熱電球があった。省エネでLED電球がもてはやされているが、年配者には白熱の明るさも捨てがたい。

周囲は商店が多いから、他の買い物のついでに寄る人やそこへ勤めている人も来る。住宅街もある。昼はカップラーメンだけを買いに来る人もいるという。

年配の母娘が掃除用品の売り場で品定めしている。そろっと大掃除の時期か。そう言えば来年のカレンダーもあった。また一つ歳を重ねることになる。

(平成23年11月)

なんじゃ村紀行 8

雨の日の吉田店

岩淵 一也

来年のカレンダーとスケジュールコーナー

来年のカレンダーとスケジュールコーナー

いきなり行って「店長さんいますか」などと尋ねるから、店員さんから誰何されるのだ。怪しいとは思われなくても(いや思われたか)、いかがわしい、くらいには思われたのではないか。これまでも取材の際は事前の断りなしで、いかがわしさの懸念はあるものの、その方が相手に気を使わせなくててっとり早いと考えてのことだった。

吉田店は交通量の多い国道116号に面している。かつては田んぼに囲まれていたのに、国道沿いに店が並んで郊外型店舗のひとつになった。建物は以前本屋だった建物で、七・八年前と変わらぬたたずまいだった。その頃、たった1日か2日だったが、ここへ見習いに来たことがあった。単なる好奇心からなのだが、商品の補充を頼まれて右往左往してしまい、結局足手まといになっただけだった。あの時でも商品の種類の多いのにびっくりしたが、今はもっと多くなって入れ替わりも早いから大変だろう。
それにしてもノギス、水平器、手動型発電ライトなどが百円で売られるようになろうとは、一昔前に考えられただろうか。

いかがわしさが解けてからの店員さんは、てきぱきこちらの質問に答えてくれた。その間にも押しつけがましくない声掛けが続けられていた。控室に貼ってあった五大用語「いらっしゃいませ」「はい、かしこまりました」「少々お待ち下さいませ」などが実践されている証しだろう。

入口すぐのところに来年のカレンダーとスケジュール表があった。そんな商品を見ると、今年も残り少ないことと、自分の老い先からまた一年が差し引かれるのかと考えてしまう。

雨が上がって日が照ったと思う間もなく、黒雲に覆われて大粒の雨が道路を叩く。寒露に近い不安定な天気だ。私は書き出しの一行を考えながら小雨になるのを待っていた。

(平成23年10月)

なんじゃ村紀行 7

秋色の小千谷店

岩淵 一也

看板の上に秋の絹雲

看板の上に秋の絹雲

絹のような光沢の薄い雲が山本山の方へ流れてゆく。台風12号がノロノロと四国、紀伊を席巻し、大きな被害をもたらした数日後のことである。被災地には後ろめたいが、例年になく暑かった夏を台風が連れ去っていったようだ。  

小千谷で思い出すのは、そばと地震と西脇順三郎(1894~1982)である。平成16年10月の中越地震ではなんじゃ村小千谷店も大きな被害を受け、棚が倒れ商品が散乱破損した。3年後の中越沖地震では小千谷は震度6弱で、同じような被害が出た。いずれも地震直後から、日用雑貨品を買いに来るお客が多く、100円ショップと地域とのつながりを垣間見る思いだった。

お昼に近い時間なのに店内のレジには次々と客が並んでいた。商品数が多いせいか見比べ、子細に説明書に目を凝らす人が多かった。なるほど、店内をそぞろ歩くだけでも楽しめるのではないか、そんな錯覚さえ起こしそうなほど客はゆったりしていた。

猫額ながら野菜作りの趣味があるので、100円で2袋の野菜の種が気にかかる。意地悪く裏返して発芽率を見たら、いずれも1年以内の表示だった。当然と言えばそれまでだが、賞味期限などの管理には神経を使うことだろう。 店の外に昆虫用の餌や飼育箱が並んでいた。クワガタ、カブトの飼育用朽木、昆虫ゼリー。珍しいからしばらくためつすがめつしていた。爽やかな秋日、入り口にある「なんじゃ村」の高い黄色い看板が秋空に映えている。

さてちょうどお昼、近くの「わたや」でへぎそばでもすすろうか。

(平成23年9月)

なんじゃ村紀行 6

柏崎店の情報掲示板

岩淵 一也

柏崎店レジ脇の情報掲示板

柏崎店レジ脇の情報掲示板

広い駐車場を取り巻くように郊外型の店舗が並んでいる。原信にドラッグトップス、蔦屋にジーンズのアメリカ屋。それに「テナント募集中」の貼紙のある空店舗。ここにはケーズ電気があったが駅裏に新築移転した。他にラーメン屋やお菓子工房もある。

なんじゃ村柏崎店はアメリカ屋と店舗を分かちあった左側にある。お盆のせいもあって店内は親子連れで混み合っていた。

もう十三年余も前になるが、転勤で柏崎へ一年半近く通ったことがある。乗り換えの不便もあって時間がかかり、冬の朝などは見附あたりで白々と夜が明けるという具合だった。柏崎での仕事は、気ままで自由が利いたからよく街へ出かけた。地域紙である柏崎日報にエッセー「夏炉冬扇」を書くことになり、連載は既に六百回を超えた。

柏崎は海岸線の長い街だ。港やヨットハーバー、福浦八景と呼ばれる景勝地もある。そのせいもあって夏は海水浴用品がよく売れるという。穏やかな店長の受け答え通り、店での声掛けも控えめで好ましかった。

何回か店を巡り歩くうち、遅まきながら買い物の楽しみに気づくようになった。新しい品物と思えば手に取ってみるし、メモしていた品物を見つけた時の嬉しさも味わった。

それにしても百円ショップの品数のなんと多いことよ。品数だけではない、品揃えも豊富だ。文房具コーナーの鋏の数を数えたら43種類。他に台所用品のコーナーでキッチン鋏が7種、さらに園芸コーナーでは19種あった。合わせて69種類となる。自分で数えて驚いてしまった。

レジの横の壁、スダレに吊るした掲示板があった。珍しいからそれを写した。

(平成23年8月)

なんじゃ村紀行 5

品物を探す楽しさ・新発田店

岩淵 一也

黄色と赤に青空が映える なんじゃ村新発田店

黄色と赤に青空が映える
なんじゃ村新発田店

台風6号のフェーン現象で、県内は各地で35℃を超える猛暑日である。交通の激しい国道7号線の歩道から、店の写真を撮るわずかな時間だったのに、頭がジリジリ焼けつくような暑さだった。

何年ぶりかで訪れた新発田店は、周囲がすっかり変わった印象だった。道を挟んだ同じ並びに出来た吉運堂の四角錐の建物が、その感じを強くしていることと、周囲の飲食店の盛衰が加わってのことだろう。 県内には10万人規模の市が三条、新発田の二つあり柏崎がそれに次ぐが、新発田は城下町だったせいで二市に比べ歴史の奥行きを感じさせる。日本百名城の新発田城をはじめ、清水園や足軽長屋、蕗谷虹児記念館などがあり、60万本のあやめを誇る五十公野公園は市民の憩いの場として親しまれている。

なんじゃ村新発田店は、入り口を入るとレジ前から奥に通じる直線通路がある。その通路からコの字型のゾーンごとに品物がまとまっていて、棚の高さは2メートルくらいあるから迷路に迷い込んだ感じがしないでもない。目的の品物をすぐに探し出せることも必要だが、思いがけない品物に行き当たるのも買い物のだいご味だろう。図らずも品物を探す楽しみを演出してくれているようだ。100円ショップとはいえ、今日びは高額な商品を並べる店も多いが、なんじゃ村はあくまでも100円が主体で、それより高額の、210円とか315円の品物は、つつましく一角にまとめられている。

事務室の扉に「売り場に出る前のチェック」が貼ってあった。接客の基本が地味な言葉で綴られている一枚に、店の運営が察せられるようだった。

(平成23年7月)

なんじゃ村紀行 4

小粒でぴりり古町店

岩淵 一也

古町店は前の道路が工事中

古町店は前の道路が工事中

昼下がりの古町通りを、秋田のナマハゲが闊歩していた。腰みのを振り出刃包丁をかざしながら威嚇するふうなのに、訛りが濃いため愛嬌が勝っている。観光PRの一環らしいが、通行人は怪訝な顔で立ち止まり興味なさそうに立ち去ってゆく。

古町地区の地盤沈下が指摘されてから久しい。北光社と大和デパートの撤退がそれに拍車をかけ、かつての活況は望むべくもない。

そんな古町の一角に「なんじゃ村古町店」が開店してから何年になるだろう。 郊外型店舗とは違い駐車場はなく面積も狭いため、百円ショップとしての制約はかなり大きいのではないか。加えてやはり、というべきか。人口81万の県都は競合店がひしめいていて、ここ古町店も競争の渦の中だ。同じ通りに歩いて55歩のところにセリアがあり、本町通りのイトーヨーカドー5階には、フロアーをほぼ占有したダイソーが店を開いている。ダイソーは通路も広く品揃えも多くて、ゆったりと買い物出来そうな店作りだ。いかに人口が多いとはいえ、それらに伍していくのは容易ではないだろう。

古町地区が衰退に手をこまねいていたわけではない。最近は若者を呼び込もうと、専門学校や国際情報大学のキャンパスが誘致されるなど、いくらか巻き返しに転じたようだ。 「お客さんが立て込むのは昼休みと夕方です」実直そうな店員さんはそう答えてくれた。自転車やバスで買い物に来た人や近くに住む勤め人、学生などが主な客層とのことで、品揃えもそのことを考慮しているという。品数が多いから棚は頭の高さほどもあり、通路も狭いのですれ違いも不便だが、買い物のだいご味は案外そんな秘密めいたところにもありそうだ。小粒でも欠かせない山椒のように、この店の健闘に期待したい。

(平成23年6月)

なんじゃ村紀行 3

地域と歩む喜多町店

岩淵 一也

店頭に初夏を並べる喜多町店

店頭に初夏を並べる喜多町店

立夏を待っていたように乾燥した暑い日になった。それに、新緑を揺する生暖かい風が強い。 長岡のなんじゃ村喜多町店は、国道8号線を柏崎へ向かい喜多IC手前の交差点を左に折れるとすぐだ。県道と交差する陸橋から「100円ショップなんじゃ村」の黄色い看板がよく見える。 転勤で柏崎へ一年半ほど通ったことがあるが、その頃と比べこの辺りもずいぶん変わった。ここから長生橋方向へは大型の郊外型店舗が続く。

喜多町店の入口には風船や捕虫網、すだれ、しゃぼん玉などの夏用商品が並んでいた。土曜とあって駐車場は八割方埋まっている。これまで見てきた小針や上越店と比べて店はかなり広いが、商品点数も多いのかゆったりとした感じはない。

長岡には他社の100円ショップが10店舗ほどあるようだが、同じ価格の商いだから品質はむろんのこと、品揃え点数が優劣を分けることになる。むろん接客などのソフト面も重要なことは論をまたない。他社では高額商品も多くなっているというから、お客様の選択肢も広がって違った意味での難しさも加わっているのだろう。

喜多町店では長岡の行事など地域の動きに添った陳列を心がけているという。テレビの影響で「天地人」ブームだった一昨年は、そのための品揃えをしたりした。越後丘陵公園が近いので行楽日にはお菓子や飲物だけでなく、水鉄砲やシャボン玉など親子で楽しめる品物の陳列は欠かせないという。とりわけ長岡祭りに寄せる長岡人の力の入れようは強く、花火見物の際にはゴザや迷子の目印になる発光リングなどが必須のアイテムとなる。天候によってはヤッケなど雨具が飛ぶように売れるのでその準備も疎かにできない。100円ショップも地域とともに歩いていると言っていい。

「いらっしゃいませ、こんにちは」「ゆっくりごらんくださいませ」。声掛けも自然に耳に届いてきて、店内は昼前のピークを迎えつつある。

(平成23年5月)

なんじゃ村紀行 2

花爛漫の上越店

岩淵 一也

花爛漫の上越店

前日の暖かさで一気に桜が開花し、週末の今日は絶好の花見日和だったのに、あいにくの雨に加えて強風が吹き荒れている。4,000本を誇る高田城址のソメイヨシノも、しばし足踏みといったところか。3月11日に発生した東日本大震災で自粛ムードが浸透し、日本三大夜桜のライトアップも時間を限ってということらしい。

なんじゃ村上越店は上越インターを下りてすぐのところだった。大型ショッピングセンターイオンの正面に位置し、周辺は郊外型商業地でヤマダ電機、ユニクロ、ジョーシンなどがある。

荒天にかかわらず駐車場はいっぱいだった。雨のなか母子連れが店に駆け込み、傘を持った数人の若者がノッソリと入ってくる。丈高い商品棚に占められた店内は大勢のお客で賑わっていた。

人口20万を数える上越市に100円ショップは6店あるという。同じ価格での競合だから、差別化といえば商品の種類と数、それに接客ということになろうか。ここは売り場面積の割に品数が多い感じだ。従業員控室の扉内側に「今月の強化接客用語」が貼られていて、タイミングを見計らって声掛けが行われていた。なんとか特長を出せないかとコーナーをシーズン毎に飾りつけ、たとえば4月はフレッシュマン向け、来月は五月人形と、レイアウトの工夫に腐心しているという。

品物を探しいいように案内する表示は、各店舗ともさまざまに工夫を凝らしているのだろうが、ここのは天井から下げた写真付きの絵看板である。一昨年の改装の際に取り付けたというが、ともすると素っ気なくなりそうな表示をいくらか救っている。

お昼近くに店を出た。雨は止んで空がいくらか明るくなっている。道路を隔てた前の駐車場を取り囲む若木の桜も満開である。寒い中、店の前にたたずんで、ほんのちょっぴり花見を味わった。

(平成23年4月)

なんじゃ村紀行 1

けなげ健闘小針店

岩淵 一也

なんじゃ村紀行 1

弥生の風はまだ冷たかった。襟を立てて懐かしい店の前に佇んでいた。なんじゃ村小針店。黄色と黒に白字を抜いた見馴れた看板が目の前にあった。

もうひと昔ほどになるだろうか、開店ほどないこの店を訪れたことがある。まだ「ヒャッキン」と言い習わしていた頃で、テントや改造バスでの移動販売から、固定店舗に移った最初の店だった。 スーパーやデパートの店先を借り、空地にテントを張るという販売から、「ようやく居を構えた」という意気込みがあって、安堵と先行き不安をない交ぜにした小さな店舗が、大きく誇らしげに見えたものだった。

あれからなんじゃ村は店舗の数も増え、売場はより大きな面積へと変貌してきたが、小針店は当時と比較にならないほどの品数を飲み込んでいるものの、同じように狭いまま長兄の位置を保っているかに見えた。競合店の多い県都にあって、存在し続けるのは並大抵なことではないだろう。

店内にいたのはごく短い時間だったが、じっくり品定めする老夫婦に、予め心決めした品物を探すとすぐレジに並ぶ若者まで、かなりのお客様で立て込んでいた。聞けば立地の特性からだろう、高年のお客様が多く、品物もそのことを配慮して陳列に心がけているとの答えだった。

小針十字路を下りて越後線と旧国道を過ぎ、しばらく行って直交する大堀幹線を右折するとすぐ小針店はある。その立地のよさと、すっかり地元に溶け込んだ店のありようが、「けなげ健闘」を裏打ちしているといえる。

歩道の並木は黒い裸木のままで、啓蟄が近いのに春はまだ先らしい。店のすぐ前にある小針5丁目バス停に、数人が寒そうにバスを待っていた。

(平成23年3月)

会社概要

店舗名
アキラ産業 株式会社
住所
〒959-1211 新潟県燕市小中川4379-2
電話番号
0256-62-3463
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